2月会山行八ヶ岳南部

2002年2月15日(夜発)〜17日

 

2002年2月16日

 阿弥陀岳北稜

 メンバー:PL)中西・宮内

美濃戸6:30→行者小屋8:15→行者小屋9:15→JP10:00→岩壁登攀開始10:45→阿弥陀山頂11:5012:15→行 者小屋12:40

 横浜東口を夜10時に出る。中央高速道に乗り、美濃戸へ向う。ここで仮眠して、翌朝2月16日、行者小屋へ向う。中西、小池、高橋(真)、倉林、宮内の5名が先行入山する。中西・宮内は阿弥陀北稜へ、他3名は石尊稜へ。行者までの道程は、トレースありで楽かと思ったが、最後の方の平らな歩きが意外と足にきた。途中、木々の間から木曽御岳が見えた。倉林君と御岳は登頂しようと言い合った。行者に着き、テント設営をする。小池・高橋・倉林の3名は、石尊へ行くため、設営準備はそこそこに出発する。中西・宮内は設営完了後、準備をして北稜へ出発する。出発時気温−12℃。行者から中岳沢へ向い、沢の開けた所から尾根に取り付く。トレースが付いているので気持ち良く歩く。ひと登りしてJPに到着。ここでアイゼン装着。真新しいアイゼンを付ける。ここから雪稜を歩く。ハイマツは雪の下に隠れていてトレースをなぞるだけ、雪稜を突き当たると岩壁がある。正面左側から登る。中西さんがリード。「ビレイ解除」の声が聞こえ、自分が登る番となる。心臓がドキドキしている。この瞬間を待ち焦がれていた気がする。一呼吸して岩に取り付く。アイゼンの刃を置く。置くという表現が正しいか分からないが、立つという意識を捨てたら楽に登れた。「良し」と思ったら、右足のアイゼンが緩んだ。大失態だ。不安定な所だが、仕方がなく左手足で体を支え、右手でアイゼンを外す。このあと草付混じり部分を歩き、1ピッチ目終了。テラス部分で再度アイゼンを付け直す。2ピッチ目のフェースを登ると終了。あっさり終わってしまった。このあとは雪面を登高するだけ。頂上からは360度の展望。雲一つない快晴。短かったが、冬季登攀デビューには最高の日和。中西さん曰く、カメラを持ってくればよかったと思う陽気だった。帰りは中岳沢を下り、行者へ戻る。休んでいると小屋のそばで、おじさんがうまそうにビールを飲んでいる。それを見たらどうしても飲みたくなり、中西さんに断りをいれて、赤岳鉱泉までビールを買いに行く。中山乗越を過ぎて下っている時、小池さんの声が聞こえた。耳を疑ったが、やはり主の声である。ずいぶん近くから聞こえる。石尊稜の方を見つめるが、姿はよく分からない。声だけが聞こえた。帰り道、一回だけ声を聞き、そのあとは聞こえなくなったので行者へ足を急いだ。天場でビールを飲み、4天の整地をしていたら、土曜朝発の源水・小清水・渡辺・中田の4名が到着した。 冬季登攀を今回初めてした。わずか2ピッチだけであるが、新しい世界がひとつ広がった気がする。最近、沢と雪稜登攀やアルパインクライミングの山行記録ばかりネットで見ている。この歳になって「危険や厳しさ」の場所に身を置きたい誘惑に駆られている。

 2002年2月16日(土)快晴

 入山

 メンバー:小清水、源水、渡辺、中田

美濃戸口(10時37分)−美濃戸山荘(11時34分)−行者小屋(14時24分)

 7時横浜駅集合。源水車にて順調に美濃戸口着。春のような陽気の中、ゆっくりと行者小屋まで歩く。今日登った人達はよい天候で良かっただろう。行者小屋へ着くと、既に中西さんと宮内さんが天幕の地ならしをしていて下さった。テント設営後、小清水さん講師でビーコンのトレーニング。

源水さんが気象をとり、その後夕食の支度。他パーティの帰幕を心配しながらじっと待つ。夕食は、小清水さん担当のキムチ鍋。温かくておいしかった。

 

2002年2月16日(土)

 石尊稜

 メンバー:

PL)小池・高橋真紀・倉林

 1ピッチ目

小池さんリード。V級といいながらけっこう難しい。リードしなくてよかった…。

 2ピッチ目

 調子にのって倉林がリード。特に難しいと思われなかったが、1時間近くもかかったらしい。すでに時間は午後1時。今日の完登が危ぶまれる。

 その後の

40M×4ピッチはすべて小池さんリード。やはり3人のためか、けっこう時間がかかる。4ピッチ終わったあとも200Mの雪稜歩き。特に難しくはないが一応コンテでいく。上部岩壁についたころには4時近く。

 上部はあきらめトラバースすることに。このトラバースはなかなか面白かった。倉林はスタンディングアックスビレーもやってしまった。登山道に出た時はうれしかった。しかし、マキがヘッドランプを落とす。大学時代から使っていたものだそうで残念そうだった。

 しかし、我々は今日中にテン場へ戻らなければならない!マキを真ん中にはさんで下山開始。地蔵尾根経由でテントに着いたのは

1930!!こんな山行初めて。

(中西さんには連絡不足で怒られる…)

 くやしいので次回挑戦。それにしても1日にこれだけ行動したのは初めてだ。腹もへった。宮内さんのナベはもっと塩をいれてもよかった。

 

2002年2月17日(日)曇り

 赤岳登頂

 メンバー:小清水、渡辺、中田、宮内、服巻、及川

行者小屋(8時25分)−地蔵尾根−赤岳(10時45分)−文三郎尾根−行者小屋(11時49分)

 本日合流の服巻さん、及川さんを待ち出発。最初は樹林の中を行く。しだいに急登になる。地蔵仏直下は踏み跡のない雪のリッジとなる。カニの横這い状態で進む。この山行中で一番厳しい部分だった。稜線に出ると風が強く、顔に雪が当たり痛い。でも体が持ち上げられるほどではない。心配していた展望荘から頂上までの稜線歩きは時間と体力で解決する。頂上直下で風をよけて休憩。鎖の見え隠れするところを急降下する。中岳分岐で見えている山や昨日今日と他のパーティが行ったルートを教えていただく。長い直線スロープの文三郎尾根を一気に降り、無事に行者小屋着。

  二日目は、天候を心配したが、歩行中に天気が崩れることはなく、また展望も悪くなく、登山道はすいていて、良かったと思う。

 2002年 2月17日(日)

 小同心クラック

 

 初日13時間行動、就寝22時。はつきり言って今朝はまだ寝ていたかった。中西さんお見立ての力カレーラーメン??を食べ終わると、おもむろに小池さんの一言。「俺、寒気がするから、今日はやめとくわ」う〜む、先を越された…中西さんと二人パーティになってしまった。

 昨日阿弥陀北稜で物足りなかった様子の中西さんは、きっと今日はむちゃくちゃヤル気だろう…これは私も気合入れなおしてがんばらないと!という訳で足にピキピキと疲れを感じつつ、星空の下、中山乗越への道に向かう。天気は午前中もつそうです、と昨夜源水さんがうれしそうにいっていた。同ルートを予定している源水・倉林パーティは当然、もう行ってしまった。気合の入り方が違う…。乗越を過ぎ、赤岳鉱泉へ急ぐ。夜明け前の空に青白く浮き出した西壁は冷たく、とても自分を受け入れてくれるようには思えない。赤岳鉱泉の灯が針葉樹の合間から暖かく漏れている様子にホッとして小屋へかけ降りると、テントサイト横で先行の二人が待っていた。テントにいた方に道を教えていただき、4人して大同心沢から大同心稜をつめる。う〜、しかし、これがけっこう急登で辛い!フロントだけで体を支えていると、もう足つりそうっ!先頭をゆく源水さんの元気がうらめしい。やはり昨日石尊稜で消耗している倉林君も、かなりつらそう!樹林がきれると風が横からあたり、急に体が冷えてくる。これは、今日の登攀は結構つらいかもしれない。明るくなった空を見渡すと、いつのまにか曇が厚い。大同心の岸壁下から大同心沢をトラバースし、ようやく小同心のとりつきにつく。やはり風が強い…。源・クリPが準備を始める。 先行の権利はもちろんあちら様である。私と中西さんはクリが1ピッチ目苦労しているのを、一日千秋の思いで見つめる他ない。それにしても、寒い!どんどん手足の感覚がなくなっていく…クリ、まだ?はやくぅ〜!!「クリ、オーバー手はずせ!」「黄色のロープ、ランニングとってないぞ!」と中西さんも黙って見ていられない様子だ。

 ようやく先行Pがピッチをきり、ビレイポイントに入る。ますます風が強くなっている…。体はもうカチンコチンに凍り、自信のかけらもなくなっていたので、中西さんにリードをお願いする。前半さらさらと登ってゆくが、チムニーに入ってからの後半でやや苦労している。ピンも思ったほどなさそうだ。ほぼロープいっぱい伸ばしてピッチをきる。いよいよである。しかし、緊張よりもやっと体を動かせる喜びのほうが大きい。でだしのフェースは傾斜もなく、ぐいぐい登れる。チムニーに入ると、だんだん立ってきて、体も宙にうく感じだ。ホールドはいいので難しくはないが、「アイゼンのツメが外れたら…」「手がすべったら…」と考えだすと恐ろしい。しかもすぐに手の感覚がなくなってくる。やっぱりリードはしたくない!ときどき安定したところで手を温めながら、やっと中西さんのいる、せまい外傾テラスにあがった。「まき、大丈夫か?」何が大丈夫なのかよくわからないけれど、とりあえず「ハイっ」と答えておく。しかし「リードやるか?」の問いには「絶対イヤですっ!」。

 2ピッチ目、中西さんの姿が見えなくなってしまうとまたもや体が凍ってくる。途中なかなかロープが動かない。止まったように感じられた時間が、ビレイ解除のコールで動き出す。さあ、核心部、と気合をいれたせいか、1ピッチ目よりもスムーズに体が動いた。最後、かぶったフレークの下で左にゆきそうになるが、よく見るとロープは右の狭いチムニーに伸びているので、恐る恐るトラバースして右に入る。実はここを左にゆかないと3ピッチ目につながらなかったらしい。右の肩に上がると、中西さんが「ルート違うみたい」という。

 確かにここから3ピッチ目に入るには、相当いやなトラバースになる。この肩は下から風が巻き上げ、ここからのピッチも寒そうだ…「懸垂で降りるか」私もそうしたいと思っていたところです!「はいっ!」Lets down 2本×2回のシュリンゲ放出もこの際苦にならない。ピナクルを支点に2回の懸垂でとりつきにおりたつ。ロープの回収も思いの他スムーズに流れ、ホッとする。とりつきに1パーティいたので、これから登るのか??と思うが散歩に来ただけとのこと。ささっとロープを片付けて、風のこない樹林帯に逃げ込む。途中、源水さんと交信、あちらはもう行者に帰着したらしい。赤岳鉱泉を過ぎて中山乗越への登り返しに入ると、雪が降り出した。急ぐ足を止めて振り返ると、さきほどまでその中ほどにいた小同心の岩塊は、本降りに変わった雪の向こうに姿をかくそうとしていた。

<行動時間>

/17 起床(4:00) 行者小屋発(530) 小同心クラックとりつき(800900) 小同心肩(1200) とりつき(1315) 行者小屋(1430

高橋真紀 記

 2002年 2月17日(日)

 小同心クラック

 朝4時起床。隣のテントから源水さんがやってくる。モチいりカレーラーメンなるものを食べ、5:45出発。赤岳鉱泉から横岳方面に伸びているトレースを進む。大同心稜の登りは想像以上の急登で倉林遅れる。途中、大同心基部をトラバース。ここも気を抜くと危ない。8時前に小同心到着。  ここの核心は2ピッチ目のはず。そこで倉林が1ピッチ目のリードをすることとした。昨日(石尊稜)みたいに後続を待たせてはいけないと心に叩き込みながらいざアタック。ボルトやハーケンは予想していたほどなく、ちょっとあせった。ただし、ホールドは豊富にあるので安心。倉林登攀中は風もなく、絶好のコンディションのはずだったが、途中、ロープが屈曲してしまい、思うように進めない。ロープの流れの確認を怠ってしまったからだ。仕方なく約30M地点でピッチを切る。予定は40M地点のピナクルだった。すっかり自信を失ってしまった倉林は、以後はすべて源水さんにお願いする。源水さんの頃は風も強かったと思うが、華麗に登り、核心の前で2ピッチ目を切る。倉林もセカンドになって安心したのか、順調についていく。3ピッチ目は初っ端、ルンゼが狭く、突起した岩にしがみついて左に越した。この後は特に問題もなく1045小同心の頭に到着。

 山頂直下の岩稜でもロープを出し、横岳

1120着。握手で完登を祝し、各々テルモスでのどを潤したり、写真を撮ったり、しばし休憩。この頃、中西さんが小同心の肩にいるのが見えた。風が強いので待つのをあきらめ下山開始。地蔵尾根経由で幕営地へ。午後1時に着。

<山行雑感>

 小同心クラックは遠くから見ると恐そうな岩壁だが、ホールドも多く快適なルートだと思う。しかしながら技術不足・経験不足の倉林にはなかなか手強い相手だった。それにしても冬バリは腹がへる。朝食べただけでは取付についたころには疲れきってる。今後は体力強化が必須か。

八ヶ岳の冬バリはいつ頃まで楽しめるのでしょう? 主稜や中山尾根もいってみたいですね!

2日間なんとか天候が持ちこたえ、全パーティーが予定していたプログラムを消化できて良い会山行になったのではないかと思います。個人的にも、なかなか行く機会に恵まれなかった小同心に行けて、充実しました。八ヶ岳の西面にはまだまだ登ったことのないルートがたくさんあるので、ひとつづつトレースできればいいなと思いました。

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