丹沢・主脈縦走

日程 2003年5月17日〜18日

<行動記録>

 渋沢駅に8時半集合であったが、小清水が10分ほど遅れ、バスを一本乗り過ごす。天気予報では晴れとのことであったが、雲が多く塔ノ岳の頂上が見えない。大倉に到着して身支度を整え9時30分に出発。

 大倉高原自然の家経由で水を補給して行く。なだらかで歩きやすい道を歩き、馬鹿尾根と言われるように登り一辺倒であるが、今回は蛭が岳山荘の小屋一泊泊まりで、天幕持参ではないので荷物はさほど重くなく、快調に歩いて行った。堀山ノ家で小休止し、その後は傾斜が増して、登るスピードが遅くなるが、塔ノ岳まで登れば、その後はさほど登りはないと自分に言い聞かせ、登っていく。花立までくると、視界はまったくガスの中となり、展望は無い。時折雲の中から太陽の日差しが差し込む程度で、暑くなく歩けた。花立からは勘七の沢源頭の馬の背というヤセ尾根を越えて、ブナ林の階段を登り、視界が広がると塔ノ岳の頂上である。ここまで3時間強で登ってきた。登山者が多いのにはびっくり。展望が利かないのが残念。昼食を含め20分程休む。

 塔ノ岳から尊仏山荘の裏手から、ブナやケヤキの美しい階段の尾根を下っていく。登山者は少なく、静かな雰囲気の山行が味わえた。竜が馬場などアップダウンを繰り返し、1時間強の時間を要して丹沢山に到着したた。

 丹沢山の頂上は展望が無く、頂上の印象が無い。みやま山荘の塔ノ岳よりに水場があった。ここで泊まるのもよいとは思ったが、計画通り蛭ヶ岳へ向けて歩き出す。不動の峰へはアップダウンが以外ときつかった。不動の峰の避難小屋(荒れている・雨をしのぐ程度)わきに天幕一張り張れるスペースがあった。地面は湿っているのでここでは泊まりたくない。予想以上に塔ノ岳からかかって、蛭ヶ岳山荘に16時20分着。この日の小屋の宿泊者はやはり天候の影響で少なく、我々以外に20名ほどだった。自炊場も我々2人でゆっくり使うことができった。食後は広間で酒を飲み、山談義を就寝時刻の20時までした。 18日5時起床。朝食を食べ6時25分に小屋を出発。この日も天候は回復せず、ガスの中の蛭ヶ岳の頂上から、一気に登山道を地蔵平へ向けて降りる。尾根の傾斜が緩み、平坦になったところが地蔵平であった。そこから、平坦な尾根を行き、原小屋山荘の先のササ原の美しい姫次原に到着。ここまでくるとようやく登山者とすれ違う。

 姫次から平坦な尾根をアップダウンしながら、快適に歩き、黍殻山に到着。避難小屋で休憩する。小屋の中には大きなストーブがあったが、「これを使うと煙が逆流する」とあった。ストーブの大きさに比べ煙突の経が細いことが原因らしい。また、本日の下山口の焼山登山口(西野)からのバスの便が日曜祭日は休止になったことが書いてあった。平井と焼山登山口へ行くか相談した結果、このルートは2度と来ることはなさそうなので、タクシー利用ということで、焼山登山口へ向かった。ピークとはわからない焼け山の頂上を越え、焼け山登山口に到着した。バス停に書いてあったタクシー会社に携帯電話で連絡して、タクシーを呼び、三カ木バスターミナルまで行き、橋本駅行きのバスに乗車した。

<行動時間>

5/17 大倉

9:3010:10自然の家10:2011:20堀山の家11:3012:10花立12:20 12:50塔ノ岳13:1014:15丹沢山14:3015:15不動の峰ー16:20蛭が岳

5/18 蛭ガ岳

6:257:15地蔵平ー8:30姫次8:5510:00黍殻山避難小屋10:10 10:55焼け山11:0011:35焼け山登山口(西野)

<山行雑感>

天気予報では晴れとあったが、終始ガスがかかりうっとおしい山行となったが、天候が悪いために蛭が岳山荘で、ゆっくりできたようである。小屋の人の話では、例年この時期は晴れると土曜日は60〜80人の登山者が泊まるそうである。

 不動の峰には水場があり天幕を張れるスペースがあるが、新しくなった蛭が岳山荘に一度は泊まろうと思い、今回はあえて蛭が岳山荘泊まりとした。また、なかなか丹沢山塊の奥地には入らないので良い機会と思い計画をした。丹沢山より蛭が岳までの登山道は意外とアップダウンがあり苦労した。

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