2002年12月会山行  北アルプス穂高連峰涸沢岳西尾根

 2002年12月31日夜発〜2003年1月3日

 12月31日18時横浜出発。大晦日に出歩いている人は少ないようで、途中のコンビニも夕食に寄ったファミレスも道路もガラガラ。出発時に横浜は雨が降り出し、途中で雪に変わったが、順調に23時に新穂高に到着。

 1月1日、6時起床、登山届けを提出して7時半出発。天気は快晴。白出沢を渡る前に休憩(10:00〜10:20)。下山してきた槍ヶ岳パーティー(源水L)と会い、新年の挨拶を交わす。白出沢を渡るとすぐに涸沢岳西尾根の取り付き。赤布もトレースもしっかりついている。急登をぐいぐいと登り高度を稼ぐ。本日の予定は2400mの台地だが、2300mで休憩していると、上から降りてきた人に「上は混んでいる」と聞かされる。休憩地が程よい幕営適地なので、トイレを気にする山田が、「明日、1時間余計にがんばるからここで張ろうよ。」と言うので
少し早めだが13:50に終了。設営後、山田はせっせとトイレの構築。

 1月2日、4時起床。我々は、冬型が昼過ぎから緩み、3日午後から低気圧の影響で荒れると予想し、穂高岳山荘までテントを上げて登頂、3日はなるべく早くテントを下げる予定としていた。が、朝起きると吹雪。「あれ?冬型になってない。」と行動を悩む。3日の午前中まで天気は持つという判断に対する自信が揺らぐ。さらに山田の「もっと寝ていよう。温泉に行こうよ。」と悪魔のささやきがモチベーションを下げる。が、「いや、チャンスは今日しかないから、アタックを出そう。」とテントを上げずに2300mからアタックを出すことにした。
6:30に出発。1時間ほど歩いて服装を整えるため休憩したほかは、この後の穂高岳山荘まで4時間休憩なし。
吹雪は8時ころには収まり、急速に快晴となるが、風は強い。蒲田富士までぐいぐい高度を上げ、核心部と思われるところは残置フィックスがある。しかし、ロープを使うほどのことはない。気持ちのいいナイフリッジを行くとF沢のコルに出る。程よい休憩場所だが、遅い先行Pを抜くために休憩なしで先へ行く。正面のリッジを右に回りこみ、ルンゼに出るがラッセルがあるので、右の小リッジに上がって登る。上部から韓国人Pが降りてきて、正規ルートと思われるルンゼを降りてくるがやはり不安定な雪に苦労しているようで、我々の登っている小リッジにやってくる。蒲田富士から風は強かったが、涸沢岳まではさらに強くなる。山頂ではとてもじゃないが、話すことも写真を撮ることもできず、急いで穂高岳山荘へ下る。奥穂を断念するタイムリミットを
涸沢岳着10時としていたが、山荘(白出のコル)着は11時半。時間は過ぎているが、先週のトレーニングでも山田は10時間歩いているし、ペースとしては奥穂を往復しても十分日没までに天場に戻れると考えていた。
しかし、山田の顔面が凍傷になっており、手も痛いというので、強風下の奥穂高岳登頂は断念。15分ほど休憩した後、下山開始。今度は風が正面からあたり辛いが、蒲田富士まで下りるとようやく人心地つき、周囲の展望を楽しむことができる。時間に余裕があるのでのんびりムードでベースへ帰着(15時半)。夜半には風がやむ。

 1月3日 起床時は曇り、出発時(8時半)には雪が降り出す。接近している低気圧は二つ玉低気圧となりそうなので、テントを上部にあげなかったことを喜び、撤収して下山。急斜面をすたすた下り、11時半には新穂高へ下山。このころから雪は本降りと変わる。その後大雪となったらしい。


雑感
ルートは本メンバーではロープを一切出さなかった。その必要性も感じなかった。涸沢岳アタックであれば、経験豊富なスタッフが居れば、雪山一年生でも十分こなせるだろう。ただそのときは、雪の条件等で下りではロープが必要となる可能性がある。また、蒲田富士のナイフリッジでは雪庇の読みは必要。十分な判断力・経験のあるリーダーの元でトライされたい。


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