穂高連峰春山合宿の記録

日程:2006年5月2日(夜発)〜6日


53日(水)

天 候 】快晴 無風

【コースタイム】(221:30横浜シャトルバス→新宿発高速バスさわやか信州号) 6:05上高地バスターミナル7:3010:50横尾11:2014:40涸沢テント場(幕営)
 出発日の2日朝、北穂高小屋と穂高岳山荘に電話を入れてみた。いつも現地情報は気にしているが、特に今回は、前日の51日針ノ木雪渓で雪崩事故が起き、3人が亡くなってもいる。今回行く北穂沢、小豆沢も過去雪崩事故が起きたことがある。北穂高小屋では「ここんとこも降雪があった。あさってあたりまでには、落ちるべき雪は落ちて落ち着くだろう。北穂東稜上も例年に比べ積雪が多い」とのことであった。奥穂高岳下の白出乗越にある穂高岳山荘では「今日は雨かみぞれが降っている。涸沢で、長野県警が雪崩の危険があるということで奥穂への足止めをしている」という。涸沢ヒュッテのインターネット情報では、例年より3mほど積雪が多く、テント泊の登山者には水が回せないかも、とのこと。サブルートの蝶ガ岳往復も1日では少し行動時間が長いのも気になる。いずれにしても、天気予報では明日から天気が良くなるということもあり、後は現地で相談しながら決めることになるだろうと考えた。

 集合場所の横浜YCATカウンター前で、その線に沿って岩崎さんと少し話す。参加者も多少の不安はあるようだが、今シーズンが初雪山の木村さん、風邪気味という溝越さん、積雪期の穂高は初めての奥村さんを含め全員モチベーションに不足なしの様子だ。予定通りさわやか信州号で上高地に向かう。

 沢渡で低公害バスに乗り換えた。上高地は心なしかいつもより登山者が少ないような気もするが、それでも観光客も含めると人人人だ。ゴールデンウイーク前半が悪天だったから好天への期待からだろうか。現地合流の大塚さんとすぐに会うことができた。ゆっくり支度して、長野県警の詰め所に登山届を提出して出発。明神へ着くと、明神館の先代ご主人が「この先崩落があるので明神橋で梓川を渡り新村橋で渡り返す方がいい。そのまま進んでも川原に下りて通過できるけど」と注意を促している。行きはそのアドバイスに従い、明神橋を渡る。でも、そのルートは大塚さんから「ここ(新村橋近く)らは、昔穂高で遭難した人らを荼毘に付してそのお墓があった」という怖そうな話もあった。今回は見当たらなかったが。徳沢園を経由しないで新村橋を渡り返してからも、いつもの道ではなく雪に覆われた川原を横尾まで歩いていく。

 横尾から夏道は完全に雪の下で、ずっと雪の川原を行く。登り降りが少ない分、歩きやすい。しかし屏風側からのデブリも見えるので、注意しながら進んだ。本谷橋も雪の下に姿を隠したままだった。のんびり歩いた割にはまずまずの時間に涸沢着。ちょうどクライミングスタイルのパーティが下りてきたので、東稜だろうと思い様子を聞いた。「東稜上も雪は多い。朝早くて雪が締まっていたので、ルンゼを登って稜線に上がった。懸垂はない。懸垂箇所は下りてみると危なっかしい雪庇状だった」ということだった。

 雪崩が怖いのでなるだけカールに近くない平らな所を選んで、整地して6人用テントと4人用テント2張を設営。溝越さんが水汲みを兼ねてテント設営の届けに行く。帰ってきてテント代はタダだと言う。念のため情報収集にテント届出所に行く。そこでは、積雪が多い程度の情報しかえられなかったが、別の涸沢ヒュッテの従業員に聞くと、「今回はテント場については、完全に管理ができないのでいただかない。」という。水はテント場の住人も使えることになったようなので、要するに雪崩の危険を排除できないということのようだった。しかし、奥穂も北穂も登山者の姿がいっぱいで、トレースもしっかり見える。この分だと、天気予報どおりであれば明日はいい登山日和になりそうだ。荷を片付けてから、涸沢ヒュッテの店に行き、穂高連峰や常念岳方面を眺めながらみんなでおでんを食べた。風邪気味で涸沢までが勝負と言っていた溝越さんも元気。夜は6天で一緒に夕食、歓談。

 5月4日(木)

天 候 快晴 ほぼ無風

ルート 430起床・涸沢テント場6:38(ザイテングラート寄り小豆沢)→9:20白出(しらだし)乗越10:0011:20奥穂高岳頂上11:5013:45白出乗越141515:30涸沢テント場(幕営)

 快晴の天気の下出発する。もうかなりの登山者が先行している。しばらく行くと長野県警山岳遭難救助隊が二人、行き先、パーティ人数などを確認している。装備不備等をチェックしているのだろうか。いずれにしても、雪はそこそこ締まって安定している。だんだん傾斜が出てくるが、腰で腰を上げてやる運動をしてやると、脚だけで登るよりグッと楽だ。

 ザイテングラート寄りからトラバース気味に白出乗越へ上がる。登山者がいっぱいで、奥穂への鎖場には人が鈴なりだ。我々も休憩して、ハーネスと自己の安全確保用のスリング・カラビナなどをつけて身支度を整える。木村さんが、アタック用に借りたザックが身体にフィットしないというので、ストラップ・ハーネス類を調節し、不要な物はデポしてもらうことにした。私もロープをすぐに出せる状態にした。

 取付にも列ができ、ここまで混み合うような山行は私も初めてだった。ハシゴの上にいる下りの登山者が、途切れず上がってくる登山者に対して、どこかで切って下りさせてください、と叫んでいるが、なかなか譲ってもらえない。私たちの番が来た。ハシゴの下で間隔をあけて鎖に自己ビレイを取って上の人たちに降りてもらうことにした。鎖場、ハシゴを上がると少し傾斜のある雪壁で、少し上がるとそこもまた渋滞していた。パーティがバラけたので、安定した場所でまとまった。その後は岩峰を右に巻くところの下が少し急な雪壁だったが、足場はもう階段状になっていて特に問題なく通過し、頂上へ着いた。

 例によって記念写真を撮ってしばらく休憩。360度の展望で、ジャンダルム、槍、北アルプス北部の山々がよく見えた。帰りは、来た道を取って返すだけ。頂上直下で、ガスがかかっていたりすると誤って直進し道を失ってしまいやすいというのはここか、などと考えながら下りる。ハシゴの上の雪壁まで来ると、また渋滞。座り込んで進むのを待つ。岩をアンカーにして50mロープダブルで懸垂下降するパーティもいくつかあった。着地点はどこかと後で見てみると、鎖場の横に転落防止用(?)の網が張ってあるすぐ上のようだった。様子を見ていると、順番を待って歩いて下りるのと、時間的にはそんなには変わらないかなと感じた。さて20分ほど待ったろうか、やっと私たちも進み始めたが、私のすぐ前を行く一人の青年がおっかなびっくりで、なかなかはかどらない。つい、次の足はここなどと出しゃばってしまった。単独行で横浜近辺の人なら、会へのお誘いでもしてみようかと色気心が出たが、聞いてみると京都からとのことで、下で仲間も待っていた。残念。

 白出乗越へ下りて、ハーネスなどをはずして一休み。木村さんが「楽しかった。涸沢からここまでの登りより楽だった。」と感想を言う。直前の富士山での雪上訓練特に雪壁の登下降練習、鷹取山でのアイゼン岩登り、岩稜登り練習の効果があったとすればうれしい。一方で、混み合った鎖場で他パーティの一人が滑落した。(幸い少しで止まり、事なきを得たよう)。自分で転滑落することの防止もあるが、他人の転滑落の巻き添えを食う可能性も大いにあるので、やはりハーネスや自己の安全確保用の用具は必携。また今回はそうしなかったが、氷塊が落ちてきたことも何度かあり、ヘルメットは着用したほうがいいと、岩崎さんとも話し合った。

 後は、シリセードする人あり、歩く人ありで涸沢の方へ降りていき、途中溝越さんらが涸沢小屋へ寄ってソフトクリームを食べたいとのことで、涸沢ビール・お酒組みとパーティを分けてテントへ下った。 

55日(金)

天 候 】夜明け前風あり、晴れ、午後曇り

【コースタイム】3:30起床・涸沢テント場5:05−涸沢小屋5:376:20北穂沢分岐6:306:50東稜上7:007:15ゴジラ岩手前8:208:20ゴジラ岩9:059:10東稜の(大)コル9:159:40北穂小屋−12:30涸沢小屋−涸沢テント場(幕営)

 昨日まではピーカンの天気。今日はどうだろう。昨日溝越さんが取ってくれた天気図では悪くはなさそうだった。だが、夜半には風がありテントがバタバタと鳴り続けた。定刻3時半に起きてテントから顔を出して空を見ると星が見える。風も止んできた。大丈夫そうだ。北穂沢組の大塚さん、奥村さんにもお付き合いいただいてソバの朝食。今日下山の岩崎さん、木村さん、溝越さんに送られて出発。すでに北穂沢の分岐にある程度の人数のパーティがいて、東稜へ行くような感じに見えた。

 途中涸沢小屋に寄っているとき、長野県警の若い遭難救助隊員が上がってきた。「天気は何とかもちそう。しかし悪くなる方向だから午前中に登ってください。昨夜の風の原因は分からない」という話だった。涸沢小屋で用足しして北穂沢分岐に向けて出発。奥穂に比べると少し急だが、雪が締まっているのでまずまず歩きやすい。

 分岐で少し休んで東稜取付に向かう。前日、奥穂からの帰りに東稜を観察して、無雪期ルートのルンゼ右の雪壁を右上して稜上に出ればいいだろうと見当をつけていた。先行2パーティほども同様のルートを取りそうに見えた。トレースに沿って東稜を目指す。トレースは、無雪期ルートのルンゼを直上しているのもあるが、雪崩が怖いので少し直上してから右上した。ステップが切れないところではアイゼンのフラットフッティングでトラバース気味に登った。

 東稜上に着いたところに先行パーティが掘ったバケツがあったので、そこで一休み。平井さんが「半日でも富士山の雪訓をやっててよかったですよ」と一言。多分ゴジラ岩で順番待ちだろうと考えてゆっくりする。後から登ってきたスキーヤーが我々を追い越していく。スキーヤーは、稜上から北穂沢と反対方向に滑降するようであった。10分かそこいら休んで出発し、小さな盛り上がりを越すともう先行パーティの姿が見えた。岩が少し露出した最初のピークを乗っ越すところだった。ロープをまとめているように見えるのでロープが必要なのかと思ったが、そうでもなさそうなのでロープは出さなかった。雪が少ないときはおおむね北穂池側を巻くように進み時折稜線上に出たと思ったが、今回は稜線通しに歩いてゴジラ岩手前まで進んだ。ハイマツなどに足を取られることもなく楽チンだった。

 ゴジラ岩手前に着くと、2パーティほどがゴジラ岩に取り付いていて、ガイド山行と思われるパーティと熟年2人パーティが順番待ちをしている。我々もその後ろにつき、整地された雪稜のイスに腰掛けて、先行パーティを見物しながら待つ。ゴジラ岩は北穂沢側から取り付いて2mほどの壁を登って反対側に乗っ越して踵を返してリッジに上がる。リッジへの途中に1箇所残置のピンがある。リッジ右手の岩角にスリングを回してそれにもプロテクションを取ったり、それを持ってずり上がる人もいた。リッジに上がってから北穂池側にかぶさった雪のブロックに手をついて体のバランスを取っている人が多かったが、もしそのブロックが崩壊したらと思うと、見ていて怖かった。ともあれロープワークがスムーズにいかないのか取り付いたパーティもなかなか進まない。

 1時間ほど待ったろうか。そろそろ寒くなってきたところで、やっと私たちの前の2人パーティが動き出した。60歳はとうに超えているとお見受けしたリーダーは、軽やかに登っていく。我々の後ろにロープを持たない2人パーティと4、5人のパーティも上がってきた。ロープなしのパーティの人が先に行かせてほしいと聞いてくる。熟年2人パーティのリーダーが「どうせ(先がつかえているから)同じだよ」と返事。我々も9mm50mロープ1本でアンザイレンして動き出す。平井さんにスタンディングアックスビレーで確保してもらい、ゴジラ岩の取付のギャップまで進んでそこでピッチを切る。残置のピンにアンカーを取って確保してもらい登攀開始。リッジへはうまくホールドを使えば大丈夫。リッジへ上がってからは北穂沢側にある狭いバンド状に下りればリッジ上の岩をもって通過できる。ただしリッジ上の岩は浮いて動く岩片もあった。リッジに上がって目と鼻の先にある岩角にスリングを回してアンカーとして平井さんを迎える。平井さんはリッジに上がってからは馬乗りになってズリズリと越えてきた。

 その上のピッチはもう岩は露出していなくて雪稜となった。通常は、少し行って一段下がったところにあるナイフエッジ(よく雑誌などの写真にある)の手前の岩角にアンカーを取ってピッチを切ったと思ったが、今回はその岩は雪の下。そこでナイフエッジへほぼ下りたところに露出していた岩角にプロテクションを取って、そのままナイフエッジを通過し、雪稜の小ピークまで進んだ。そこにピッケルを埋めてアンカーにして肩がらみ確保で平井さんを確保した。私のところに来た平井さんには、そのまま通り越して進んでもらった。雪が多いので懸垂下降することなく雪稜歩きで東稜の(大)コルへと降り立った。ここでザイルをしまい、あとは北穂小屋を目指す。結構遠そうに見えたが、25分ほどで着いた。

 北穂小屋で休んでいると、北穂頂上から下りて来た奥村さんと会うことができた。大塚さん奥村さんの北穂沢パーティも順調に登ってきたようだった。頂上で大塚さんとも合流し、一緒に北穂沢を下りた。奥村さんが帰り道、自分たちが登ってくるとき熟年と若者の二人が別々に北穂沢のインゼルあたりで滑落して、とっさに大塚さんともう一人のベテランと思しき人が同時に同じ内容の指示を滑落者にしたと感心していた。帰りには、みんなで涸沢小屋に寄ってソフトクリーム、ビールなどで無事の山行を祝った。

56日(土)

天 候 】くもり

【コースタイム】涸沢テント場6:308:55横尾9:3510:50徳沢園11:1512:15明神13:0014:30上高地15:1016:00松本 

 今日は下山。今回の山行が連休中一番いい天気にめぐり合えたことに感謝。横尾への道は来たときと違って、途中から川沿いには進入禁止のロープが張られ、夏道通しを行くようにしてあった。

 行きは徳沢園を通らなかったので、帰りは徳沢園に寄った。そこで明神までの間の崩落場所を通ることになる。崩落場所は修復工事中で、道からいったん河原に下りて道に戻ることになるが、渡渉するところがあった。飛び石と仮設の板橋のおかげでなんとか濡れないで通過することができた。ちなみに崩落場所は、私なぞは多分走って通過していたところではないかと思う。以前登山学校で、そういう危険なところは、石が落ちてくるかもしれないと注視しながら一人ずつ走って通過し、リーダーは通過するメンバーと落石発生可能箇所を注視するように教わった。多分そこを走って通過する人はほとんどいないだろうから、他人から見たら滑稽に見えるかもしれない。実際事故に遭遇する可能性はそんなに高くはないだろう。しかし、危険とそれへの対処法を常々意識することと、可能性はゼロではないので万が一に備えるという点で、意味のあることだと改めて思った。

 松本までタクシーで行き、松本駅の近くに最近できた温泉に入ってスーパーあずさで帰った。(上高地のお風呂は時間が合わないし、新島々駅前にあった日帰り温泉はなくなったそうだ。) 

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