八ヶ岳 蓼科山〜赤岳縦走
日程:2024年12月29日〜2025年1月3日
<行程>
12月29日
茅野駅0920発〈バス〉北八ヶ岳ロープウェイ1019着/1035発〈ロープウェイ〉山頂駅1045着/1100発―北横岳1200着―双子池ヒュッテ1330着
12月30日
双子池ヒュッテ0700発ー天祥寺原0815着―蓼科分岐0830着―【蓼科山ラッセルにより撤退】―双子山1050着―双子池ヒュッテ1120着
12月31日
双子池ヒュッテ0700発ー雨池0900着―麦草峠1030着―白駒荘1135着
1月1日
白駒荘0755発―ニュウ0930着ー東天狗岳1225着―根石岳1320着―夏沢峠1340着―本沢温泉1415着
1月2日
本沢温泉0730着―夏沢峠0835着―硫黄岳0955着―行者小屋1205着
1月3日
行者小屋0645着―赤岳0830着―行者小屋0920着―美濃戸口1155着/1310発〈タクシー〉茅野駅1330着/1339発〈あずさ〉八王子1512着
<はじめに>
年末年始の連休を八ヶ岳で過ごしたいと思い、八ヶ岳の蓼科山から赤岳までの縦走を計画した。冬の単独は未経験の為、テントではなく小屋泊とした。また、硫黄岳から赤岳の稜線上は積雪期の経験がない為に、文三郎尾根での赤岳登頂の計画とした。
12月29日
茅野駅の北八ヶ岳ロープウェイ行きのバス停に30名程並んだ。ICカードは使用できない為、バス停で切符を購入するか、ネット予約となる。全員座れたのでほっとした。北八ヶ岳ロープウェイで片道チケットを購入して、増便していたロープウェイに乗り、山頂駅にて装備を整え11時に登山を開始した。
山頂駅は吹雪となっていたが、登山客とスキー客で賑わっている。本来綺麗なのであろう坪庭を過ぎて北横岳ヒュッテで小休止し、12時に北横岳に着くが視界不良である。登山客はロープウェイからのピストンが多い為、樹林帯に入ると登山者は一機に減る。トレースはあるものの股までのフカフカの発砲スチロールの様な雪質で、全体重を掛けながら大股でざくざく降りた。
凍った雄池を横切り13時半に双子池ヒュッテに到着した。本日の宿泊客は6名、テントは5張だ。アットホームな山小屋で食事、寝床、トイレ、暖房設備面などにおいて、全行程を通してNo1の山小屋となった。明日は快晴との事で宿泊者同士で明日の行程やルートの情報交換をして早々に就寝した。
12月30日
ワッフルのおしゃれな朝食に珈琲、紅茶のサービスでお腹を満たし7時に蓼科山に向かう。前日から双子池ヒュッテから蓼科山にトレースが無い事、ワカンを付けても腰まで埋まる事を忠告されていたが、実際に現場の状況を確認しない限り、宿題の課題分析にもならない為、行ける所まで行く事にした。
天祥寺原までは前日数人通ったであろうトレースは消えかかり、人より鹿の足跡が多くなる。誰一人いない樹氷の中心に朝日を浴びて白く輝く蓼科山を目指して歩いていく。天祥寺分岐に着くと見事な雪の廊下が出来ており、恐らく女神茶屋から入山し蓼科山から大河原峠経由で周回する日帰り登山者が多いのかも知れない?しかし蓼科山分岐に来るとトレースは一切消えて腰ラッセルとなった。
このまま斜度が上がれば胸ラッセルとなり完全に埋まると想定し撤退した。大河原峠を経由して蓼科山に登り返す事も検討したが、登頂出来ても大河原峠から双子山を越える際に再度ラッセルになる事が予想されたので、いったん双子池ヒュッテに戻り本日の目標を双子山に変更した。入山者は少ないもののトレースは残っており10時50分に双子山に到着した。快晴だが風は強く、大河原峠に続くトレースを確認しに行ったが、すぐ吹き溜まりのラッセルとなった。やはり、大河原峠から双子山に上がる人はいないのだろう。早々に宿題の課題抽出を終え宿に帰還した。
本日の宿泊者は10名、テント0張。内3名1組パーティーが到着しない為山小屋の主人が捜索の準備に取り掛かるもパーティーに連絡が取れない為、ただの無断キャンセルなのかも判断出来ず大変困っていた。18時過ぎに到着した3名は、蓼科山から双子山に抜ける際にワカンを持っておらず、ラッセルにはまり身動き取れなくなったとの事だった。一旦全員の無事を確認した事で就寝した。
12月31日
ホットサンドのおしゃれな朝食に珈琲、紅茶で腹を満たし7時に双子池ヒュッテを出発する。宿題を残した私はまた積雪期にここに来て、課題に奮闘し試行錯誤する事だろう。本日は終日曇りで視界不良の為、雨池経由で麦草峠に行き、昼頃に白駒荘に到着する。白駒池の氷上を吹雪が巻き上げている。3日ぶりのお風呂に入りすっきりした。
夜は年越し蕎麦を頂き、長野を代表する真澄が飲み放題だ。じゃんけん大会は最後まで一度も勝てなかったが、参加賞のおこじょのバッジを有難く頂いた。この夜を一緒に過ごした仲間とは、恐らく今年の年末もここで再開する事だろう。
1月1日
朝食の大量のお節を食べているといつまでも出発出来そうにない為、途中で泣く泣く区切って出発準備に入る。白駒池の氷上を初日の出を浴びて横断し、ニュウの分岐に向かう。全く良い新年を迎えた。ほとんどの登山者が、高見石や麦草峠に向かう為、ニュウまでの道は踏み後はあるものの、樹林帯では股下まで深い箇所もある。
9時半ニュウに着くと、白銀の富士山、赤岳、阿弥陀岳、天狗岳、稲子岳が朝日を浴びて輝いている。中山の分岐から先は沢山の登山者で雪の廊下が出来ていた。12時半頃東天狗岳に着き、自身がこれまで歩いてきた道と、これから目指す赤岳までしっかり見渡す事が出来て、まさに今山行の中間地点に立っているのだと思った。根石岳を越えて、箕冠山まで来ると突風地帯を切り抜けた事に一安心した。夏沢峠から本沢温泉までの下りが長く感じたのは、明日登り返して硫黄岳に行く事を考えるとこれ以上高度を下げたくない気持ちが強かったからだろう。
14時過ぎに本沢温泉に到着し、内湯はやっておらず、冬季限定の外湯「石楠花風呂」の熱々のお風呂を頂いた。今年は野天風呂も比較的温度が高いとの事で、入りにいく方も多い様だが私は潔く遠慮した。館内は寒く、宿のはんてんを着て談話室で過ごした。夜は布団に豆炭アンカを入れてくれて寒さが和らいだ。宿泊者は20名程、テントは未確認。
1月2日
本沢温泉を7時半に出発し、夏沢峠に8時半頃到着し暴風対策を整えて硫黄岳を目指す。3度目の硫黄岳だが一番風が強く感じた。心拍数が上がり切って心臓が痛い。ペースを落とすとそれだけ強風地帯に身を置くことになる為、何とか呼吸を整えて突破するしか選択肢は無い。硫黄岳に9時54分に到着し、私が計画から外した硫黄岳〜横岳〜赤岳の稜線を確認する。その稜線は硫黄岳から横岳へのなだらかな鞍部から始まり、赤岳へ天高くつき上げて行く。行く手を阻むものは何も無いが、唯一遮るものは他でもない私の力量だけなのだ。
硫黄岳から赤岩の頭の下山口は、ルンゼより下から上に雪が吹き上げており、トレースが消されている。ピッケルで支点を作りながら急斜面を下って行く。しばらく行くと大岩の左側にトレースが出来ており、夏と冬は下降点が異なるのかも知れない?赤岩の頭から樹林帯に入り、霧氷のトンネルを下った。赤岳鉱泉に11時15分に到着し、アイスクライミングの様子を少し見学し、行者小屋に12時5分に到着した。
宿泊者は7名、テント8張。炬燵が沢山あり、のんびり本を読んで過ごした。夕食はチーズインハンバーグを頂いた。
1月3日
朝食はきのこのお吸い物が美味しくておかわりを頂いた。食事が美味しいと噂には聞いていたが、これほど快適な小屋だとは知らなった。厳冬期&寒波のテント生活と比べると天と地程の差を感じた。本日も天候は不良だが、そんな赤岳は珍しくない。赤岳主稜分岐で小休止を取り、赤岳に9時に着いた。それと同時に私の山行計画の行程が完了した事を実感した。
行者小屋に9時20分に戻るとやっと晴れた。デポした荷物を受け取り、美濃戸口に11時55分に着き、八ヶ岳山荘でお風呂を頂いた。バスの出発時間までだいぶ空いたのでタクシーで茅野駅に向かい、あずさの座席未指定券を購入して帰宅した。
<最後に>
年末年始の連休を山で過ごしたくて今計画を立てた。単独の為自身の力量を考慮して計画を立てたが、当日の天候や体調、様々な要因によってその難易度は都度変化する為、完璧な計画などは作りえない。毎日、簡単と思われる小さな手間を一つひとつ積み重ねる事の繰り返しで、無事安全に?計画を完了出来たと思う。そして、何より無謀な私の計画を修正、アドバイスしてくれた会の先輩方に感謝すると共に、山行の道中に出会った沢山の登山者から頂いたアドバイス、ご厚意に助けられて、6日間という日々を丁寧に1日ずつ積み重ねる事が出来た事への感謝を私は決して忘れてはいけない。
記録:AB