竹村新道・裏銀座周遊

日程:2024年8月9日(夜)〜12日

<行程>
9日 海老名駅発22:30
10日 七倉山荘4:30→高瀬ダム(9:20→湯俣温泉晴嵐荘11:50→伊藤新道下見
11日 起床2:30→晴嵐荘発3:45→南真砂岳9:40→南真砂分岐11:40→野口五(2,924m)12:46→烏帽子小屋16:30
12日 起床3:30→烏帽子岳(2,628m)→烏帽子小屋発7:35→ブナ立尾根→高瀬ダム11:18→七倉山荘→大町界隈(薬師の湯、レストランわちがい、道の駅松川)→厚木PA21:30→海老名駅

9日(金)夜20時前に神奈川県震源の地震があり、その影響で中央高速で通行止めが発生。そのため大幅な遅れを見越し、関越道および上信越道経由で目的地に向かった。

10日(土)4時半に七倉山荘の駐車場に到着。2時間ほど仮眠しタクシー停車場へ。すでに長い列ができており約1時間待ち。タクシーを乗り継ぎし高瀬ダムに到着。ここから高瀬湖畔の林道を歩き始めた。湖の水は鮮やかな薄水色をしており、空の青、山の緑との対比が鮮やかだ。上流の温泉の影響か硫黄の臭いが漂う。3時間ほど歩き湯俣温泉に到着。ここから対岸の晴嵐荘渡るのに、ジップライン(腰掛用ケーブル)を使用。ゆっくり引いていかないとゆらゆらとして不安定だ。テントを張り、午後から下見のため伊藤新道の川を歩いた。強い硫黄臭が漂い湯が噴き出す個所があり、お湯が熱い。みんなで温泉に浸かって楽しんだ。少し川を歩くとKATAの沢靴のソールが剥がれるアクシデントが発生。やれやれ。キャンプ場に戻り、明日の沢歩きの可否についての検討会を実施した。結局、今回の伊藤新道は断念し、代案の竹村新道を登ることに。みなさんに深謝。
  11日(日)午前2時半起床し3時45分に出発。竹村新道を登り始めた。晴嵐荘の裏からいきなりの急登だ。上は満点の星、下には伊藤新道を渡渉しているであろう、ランプが点滅している。東の空が明るくなりさらに登っていくと、樹々が切れたところに展望台があり、そこから望む山々の展望が素晴らしい。ひと際目立つのが槍ヶ岳だ。少し気分は和らいだが、樹林帯の中の急登は続く。南真砂岳まで約6時間ずっと急登。さらにガレ場、ロープもあり相変わらず続く登りがきつい。ようやく稜線に出た。

ここから野口五郎岳までは比較的なだらかな登りだが、暑さと強い日差し、そして何より長かった竹村新道の登りで全員がバテ気味だ。野口五郎小屋で一服し水を購入。烏帽子岳を目指した。なだらかな裏銀座コースで左手に見える水晶岳や赤牛岳の雄大な景色を楽しみたいところだが、暑くて烏帽子岳への到着を望むのみだ。野口五郎岳山頂で出会った青年の情報によると、『烏帽子小屋のテン場が相当混んでいる』とのこと。そこでテン場確保のため、やや元気なIIJさんとKTAが先行し、小屋に向かうことになった。結局16:30頃着いたが、テン場のみならず、通路までテントで一杯の状態。スペースを探していると、少し前にテントを張ったという初老の人が、『場所がなかったら小屋に素泊まりして下さい』と言われたとのこと。何とか小高いところに場所を確保。間もなく二人も到着。本日、13時間の山行。しかも登りと暑さで疲労困憊気味だ。夕食はIIJさんの麻婆豆腐で英気を養った。
12日(月)3時半起床。テントを残し烏帽子岳へ。歩き始めて間もなく前烏帽子岳に到着。ご来光を望み、そのまま烏帽子岳を目指した。ハイマツが広がる上を飛び回るのは尾が白いホシガラスか。その先に烏帽子岳はひときわ凛々しくそびえ立つ。右から回り込んで、岩場の鎖を使い登った。山頂は狭く切り落ちていて、数人の居場所もない。岩につかまっていないと怖い。来たルート戻り、7時過ぎに烏帽子小屋のテン場に戻った。あれだけぎっしりと貼ってあったテントも数少なかった。すでに裏銀座の縦走をしているのだろう。我々もテントを撤収し、ブナ立尾根コースを下った。ダケカンバ、ブナなどの樹林帯の多いこのコースは北アルプス三大急登というだけに段差のある下りもしんどいが、上りの人たちは暑さもあって流石にきつそうだ。急登が長く続くせいか、各所にひと休み、中休みのポイントが設けられており、休みながらゆっくりと下りて行った。大きな岩が落ちそうな『権太落シ』で休もうとしたが、日陰がなく断念。すでに眼下に濁沢、右手に高瀬湖が望め下山も近い。残り惜しい感じだ。
ブナ立尾根登山口に出ると、水の枯れた白い砂浜のような河原歩きが続く。吊橋を渡りキャンプ場を越えて不動沢吊橋前で一服。この吊橋を渡り長いトンネルを越えると高瀬ダムに出た。数人がタクシー待ちをしており、タクシーは呼ぶことなくピストン運転しているようだった。七倉山荘に到着。七倉山荘の温泉に入る予定だったが、しばらく水が出ない?とのことで、大町温泉郷の薬師の湯に向かった。そこで源次郎尾根を終えたHIRA隊と合流できた。湯とその後のレストランで情報交換し、帰宅についた。


記録 KATA


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