ヨーロッパアルプス

ミディ針峰コスミック稜、モンブラン・グーテ山稜、マッターホルン・ヘルンリ稜

日程:2013年7月12日(金)〜7月24日(水) 全13日間

 (渡欧・帰国2日半 情報収集等2日 登山行動5日 休養2日 観光1日 他半日)



  

●渡欧&帰国 2日半
7月12日12:15成田発〜同日21:05 ジュネーブ着 所要時間15時間50分
7月23日19:00ジュネーブ発〜翌24日15:35成田着 所要時間13時間35分
(いずれもミュンヘンで乗り継ぎ。遅延時間含む。)シャモニー〜ジュネーブは車
●情報収集等 2日間
7月13日(土) シャモニーの地理・施設等把握、土曜市見物。フランス山岳会入会(山岳保険加入)、モンブランの天気など情報収集、装備のチェック。宿で個人的に同宿の人に自炊ディナーに誘われ国際交流
7月18日(木) 記録整理。インフォメーションセンターでマッターホルンの天気、ルートの状況等情報収集、装備のチェック、シャモニー・マラソン見物、日本料理店さつきで夕食
●登山行動 5日間
7月14日(日) エギーユ・デュ・ミディ・コスミック稜
7月15(月)〜16日(火) モンブラン・グーテ山稜
7月19(木)〜20日(金) マッターホルン・ヘルンリ稜
●休養日 2日間
7月17日(水)スーパー買出し、ダラダラ過ごす
7月21日(土)スーパー買出し、洗濯、ガイヤンの岩場散歩、宿の食堂で夕食
●観光 1日半
7月22日(日) モンタンベールの丘&メール・ド・グラス(氷の海)散策と見物、ウインパーやガストン・レビュファなどアルピニスト・ガイドの墓地墓参、山岳博物館見学、土産物物色、地元サヴォワ料理のディナー
●その他 半日
7月23日(月)帰国荷物整理、スーパー買物、ガイヤンの岩場散歩
【宿泊先】
7月12日 ホテル・リッシュモン(HOTEL RICHEMOND、バイキング形式朝食付き)
 7月13日〜22日 アルペン・ローゼ(ドミトリー形式、自炊)
【ガイド】
 国際山岳ガイド Kさん

山行記録1
エギーユ・デュ・ミディ(ミディ針峰)3842mコスミック稜(南南西稜)

【7月14日(日)晴れ】
6:40 アルペン・ローゼ発=(徒歩)=7:05 エギーユ・デュ・ミディロープウエイ出発駅7:50=(ロープウエイ)=8:10エギーユ・デュ・ミディ駅8:20 → ヴァレ・ブランシュ → コスミック稜取付8:55 → 10:20終了点
(雪稜・氷河歩行35分、登攀1時間25分)

今日は、日本でできなかった雪稜歩行のテスト&訓練と高所順応の登山の予定だ。
 宿泊先のアルペン・ローゼからエギーユ・デュ・ミディのロープウエイ乗り場まで歩く。歩きは25分程度だ。そこで7時半にガイドのKさんと待ち合わせ。駅では、やはりアルパインの待ち合わせ組がちらほら見られた。カードでチケットを買って並んでロープウエイに乗り込む。売り場の女性の一人は、日本人だった。
途中のプラン・ドゥ・レギーユでロープウエイを乗り継ぎ、終点のエギーユ・デュ・ミディ駅で降りる。短い氷のトンネルをくぐると視界が開け、雪稜と山々が前にあった。何組ものパーティが準備をしている。我々もスピーディにアイゼン、ピッケル、ヘルメットの装備を準備しアンザイレンして出発する。
若干高度感のある北東稜の雪稜から右の雪面、ヴァレ・ブランシュ(白い谷)へ降りる。遅いパーティは脇から抜いていく。雪面へ降りてからはピッケルをストックに持ち替えた。

当初、雪稜が少し多い別の所へ行く予定であったが、Kさんの判断で雪稜・雪面・氷河を少し歩いた後、コスミック稜を登攀することになった。 エギーユ・デュ・ミディ南壁、コスミック・バットレスの基部を巻くような感じでコスミック小屋手前の鞍部に向かって緩い雪壁を登って稜上に出て、ミックスの岩稜を登る。 2か所、ガイドのKさんの確保でロープでロワーダウンする。Kさんは一か所は岩角にロープを掛けてクライムダウンし、もう一か所は懸垂下降した。その後、少し傾斜のある雪壁をトラバースし、垂壁を登攀した。フットホールドは細かかったが、手がかりがしっかりしていたので、前爪で登れた。その後、ミックスのルンゼ状を登ると、ロープウエイ駅の展望台の近くのピークに出た。そこで、記念写真を撮った。ハシゴを登って柵を乗り越え展望台へ上がった。

Kさんによると、7、8パーティを追い越して、今までで一番速かったそうだ。 2か所ほど多少のバランス運動を要したが、体感したグレードは、V級かV級+程度だった気がする。 ロープウエイ駅に戻り、山岳ジオラマやガストン・レビファの展示を見学してレストランでケーキとコーラをいただいてからロープウエイでシャモニーの街に戻った。

山行記録2
モンブラン4810mグーテ山稜(1泊2日)

【7月15日(月)晴れ】
8:30 アルペン・ローゼ発 =(車)= 9:00 ル・ファイエ駅9:30 =(登山電車)= 10:35ニ・デーグル駅2380m10:40 → 12:20テート・ルース小屋3167m13:25 → 15:30グーテ小屋(エギーユ・デュ・グーテ)3863m同小屋泊
(歩行・登り3時間45分)

 モンブランへの登山電車モンブラン・トラムウエイの始発駅ル・ファイエへ車で向かう。通常は、手前のレ・ズーシュからロープウエイに乗り、ベルヴューで登山電車に乗り継ぐのだが、今年はロープウエイが運休で、始発駅からの乗車となった。 ル・ファイエ駅には、モンブランの周辺図と共に注意書きの看板があって、日本語表記もあり、「景観保存区でキャンプ禁止。ビバーク許可地点:テット・ルース 各山小屋:予約要」と書いてあった。 ル・ファイエ駅から時刻指定の登山電車に乗って終点二・デーグル駅に向かう。車窓から日本の夏山のような雪のない山、高山植物、麓の村、そしてモンブランの隣の雪をかぶったビオナセイの景観を楽しんだ。電車は、モンブランまでの延伸計画途中で建設が中断したため勾配がついた状態で終点に止まる。 そこからは、整備されたトレッキング道が右へ延びているが、モンブランへは左へ分岐する登山道に入り北東へ進む。砂礫と時々雪の道だ。雪は、日本のゴールデンウイークの涸沢の雪程度の緩み具合だった。

しばらく行くと、ガレ場状の尾根に出た。左手に無人小屋が見えた。方角をほぼ90°変え尾根を南東へ登る。岩がゴロゴロした平坦地で休憩した。左手には昨日登ったコスミック稜のスカイラインがよく見えた。行く手のガレた岩尾根ではアイベックス(シュタインボック)が一頭じっとこちらを見ていた。少し傾斜が増した岩尾根を行くと、右手に雪原があるところに出た。雪原の端にはテート・ルース小屋が見えた。

雪原は、テート・ルース氷河。ヒドゥン・クレバスもあるという。その雪原をトラバースしてテート・ルース小屋に入り、缶コーラ1本とケーキ2切れを買った。1切れはそこで食べ、もう1切れは翌日の行動食用にテイクアウトした。 約1時間の大休止後、アイゼンを付けてアンザイレンして出発。雪原を横切って、尾根の裾のトラバース道の途中へ雪面を登った。右側には、テントが数張立っていた。ここがビバーク許可地なのだろう。トラバース道に上がって少し進むと地面が露出して岩稜っぽくなったのでアイゼンを外した。またすぐ出せるようトップポケットの下に挟み込んだ。 岩場を少し登ると雪のクーロワールへ出た。両端を結ぶ形で空中にワイヤーが渡してある。両端には数パーティが溜まっている。ここでは、毎年のように死亡事故を含めた落石事故が起きているそうだ。 折しも、さかんに落石が起こっている。アイゼンを再装着して、落石がおさまるのを待つ。落石がおさまったところで単独行の先行者が、トラバースを開始するが、すぐのところにある凍ったルンゼを渡るのを躊躇する。Kさんをはじめ、ガイドから「Don’t stop!」「Move!」と声が飛ぶ。次にスタンバイしていたパーティはガイドがクライアントを待ち場所から一旦後退させた。単独行者がほぼクーロワールを抜けるのを見計らって私に「行け」の指示。すばやくクーロワールに入り、小走りで渡った。所要時間は、1〜2分程度だったろう。

渡りきったところで日本人パーティに会い、エールを交換する。ここからは旧グーテ小屋へ続く支尾根(バイヨ岩稜)を行く。U級程度と言われる岩稜をひたすら登る。特に厳しいところはなかった。上部は急になっているが、鉄棒や鉄杭、ワイヤーなどが設置されていた。

旧グーテ小屋のテラスに出ると、その先からは雪の世界となる。ちょっとした雪壁と雪稜を登ると真新しい円形のグーテ小屋に到着した。 グーテ小屋は昨年改築され、今年が1シーズン目となる。外でアイゼンを外し、小屋に入ったところで、サンダルに履き替え、アイゼンやピッケル、ストック、ヘルメット、ハーネス、スパッツなどは所定の場所に置く。2階の食堂や3階の寝室(2段のカイコ棚。広さは日本のものと同程度)、トイレは綺麗で快適だ。 6時の夕食まで時間があるので、食堂でストレッチングをしたり、寝転がって休んだ。食事は、席が張り出された。チーズにスープ、ジャガイモのグラタンのようなもの、そして肉の主菜、プリンのデザートだった。食事が終わるとケースに入った水とスポンジが回されて、自分の前のテーブルを清掃する。食事は質量ともによかった。余った分は希望者がいただけた。翌朝の飲み物(コーヒー、紅茶など)の選択を伝え、テルモスを預けて翌朝受け取るようにする。有料。翌日用の水は、ミネラルウォーターを買って、飲み口が凍らないように広口のナルゲンに1リットル入れた。 グーテ小屋は快適な小屋だったが、新しくなってから予約が大変という話だった。

食事後、就寝するがお腹が張り、2度トイレに行く。寝ると多少息苦しい。多少高度の影響が出ているのか。寝て息苦しいのは日本でもテントで何度か経験がある。テントでは換気してやるとよくなるので、酸欠の影響かと思っていたので、高度による酸素濃度低下の影響によるものかもしれないと想像した。頭痛などはなかった。しかし、息苦しかったのはこの時だけだった。

【7月16日(火)晴れ】 
   1:45 起床・朝食 グーテ小屋3863m3:20 → ドーム・デュ・グーテ4304m → コル・デュ・ドーム → 5:50大ボス → 6:30 モンブラン頂上4810m6:50 → 7:40バロー小屋 → 7:55ドーム・デュ・グーテ → 9:00 グーテ小屋9:40→(テート・ルース氷河から垂れる雪のルンゼ)→12:20ニ・デーグル駅12:30 =(登山電車)= ル・ファイエ駅 (歩行・登り3時間10分・下り4時間50分)

 うつらうつらしながら、1時45分に起きて、食堂に行く。朝食も座席表があり、トレーに名前を書いた紙が置いてあった。朝食はパン2切れとコーヒー。コーヒーは小どんぶりくらいの容器に入れられた。  こちらに来る前に、朝食は硬いパンで日本人は食べられない人もいるのでジフィーズを持って行った方がいいと聞かされていたので、アルファ米にお湯を多めに入れてフリーズドライの親子丼の具を加えて用意した。しかし結局、パンもおいしく、しっかり食べられたので、親子丼は宿に帰ってからの夕食に化けた。  テルモスを受け取って、出発の準備をする。ハーネス、アイゼンを装着してアンザイレンし、ヘッドランプを点けて3時20分ころ出発する。  まだ暗いので、近くにいるパーティと先行パーティのヘッドランプの光が点々と見えるだけ。黙々と雪面を登る。雪は硬くもなく緩くもない、という感じ。点々と光るライトの様子から、それなりの高度差の斜面を登ることが分かる。ドーム・デュ・グーテへの高度差約450mの幅広い雪の斜面だ。登り切ると今度はコルへ少し下り、登り返すとバロー小屋が左手にあった。このころになると薄明るくなってきた。  5時半ころ、日の出を迎えた。左手に日が昇ってくるので、大雑把には南の方向へ進んでいるのが分かる。目の前にはモンブラン頂上手前のボス山稜が朝日に輝き、大ボス、小ボスの二つの盛り上がりが見えた。

ボス山稜の雪稜、雪壁をしばらく進むと、登る先には天空しかない雪稜となった。登り切ると、そこがモンブランの頂上だった。6時30分だった。広い山頂では、先行パーティが写真を撮りあっていた。我々も記念写真を撮り、眺望をしばらく楽しんだ。周囲に見える場所でここより高いところはどこにもなかった。

20分ほどして山頂を後にした。周囲の眺望を楽しみながらの雪面、雪稜の下降は快適だった。グーテ小屋に寄り、3、40分ほど休んだ。  バイヨ岩稜の下りでは、ピッケルは邪魔なのでザックの中にしまうよう言われる。Kさんは岩稜の下降では、ロープにテンションをかけて下りるように言うが、私の方がショートロープでの動作に不慣れでクライムダウンしてしまう。Kさんを疲れさせたと思うが、自分の方も精神的に疲れた。途中、凍っている所でツルッといってしまった。  クーロワールの手前でアイゼンを装着し、ピッケルを出した。その際に、他のパーティに先行された。Kさんに「ピッケルのプロテクターは付けておかない。また付けていても、スピッツェは使わないので外さなくてよい。プロテクターの処理に時間を取られて遅れる。」「こんな急ぐときは、いちいちザックのハーネスを止めない。時間を取られる。」と指摘される。今回使用したザックだとピッケルを中に入れるとむき出しのスピッツェでは底を破る恐れがあったので、プロテクターを付けたのだが、言われたことはもっともだと思った。プロテクターを外してザックに外付けしておくのも選択肢の一つかもしれないと考えた。“危険な場所は早く通過すべし”という意識は自分にもあったが、安全第一のためにもっと徹底すべき余地が残っていたことを教わった。
 先行パーティは、ワイヤーにプロテクションを取ってクーロワールのトラバースに入った。我々はプロテクションを取らずその後に続いたが、先行パーティが例の凍ったルンゼの横断で手間取る。行くか戻るか選択肢があったが、結局先行パーティが渡るのを待って、素早く抜けた。  テート・ルース小屋に寄らなければ早い電車に間に合うだろうということで、小屋に寄らずに、登山道ではなくテート・ルース氷河から垂れる雪のルンゼを直線的に下ることになった。以前の私はこういうところは弾むように駆け下りていたが、今はヒザの具合と相談しながらゆっくりペースで下った。なんとか12時30分ニ・デーグル駅発の登山電車に間に合った。あとは往路を宿舎まで戻った。


山行記録3
マッターホルン4478mヘルンリ稜(1泊2日)

【7月19日(金)晴れ・曇り】 9:00 アルペン・ローゼ発 =(車)= 11:15 テッシュ駅11:40 =(鉄道)=12:00ツエルマット1616m=(徒歩)= 12:20マッターホルン‐エキスプレスロープウエイ駅=(ロープウエイ)= 12:45シュヴァルツゼー駅2583m12:45 →ハイキング道 → 14:40ヘルンリ小屋3260m (歩行・登り1時間55分) いよいよ今回のヨーロッパアルプス山行のメインの目標マッターホルンに出かけることになった。それまで好天が続いていたので、そろそろ悪くなるのではないか、と心配し、気をもんでいた。しかし、前日にシャモニーの観光局日本語デスクのベルナデットさんがヘルンリ小屋に直接電話を入れて聞いてくれたところによると「雪は降ったが上部はグッド、登頂者もあり」とのことだった。そこで予定通り出発することになった。  今日はヘルンリ小屋までなので、ゆっくり9時に宿を出発した。ツエルマットは、ガソリン車は入れないので、ツエルマットの一駅手前のテッシュまで車で行き、そのあとシャトル電車でツエルマットに入る。シャモニーはフランス、テッシュはスイス。道中国境を越えるので管理施設があるが、そのまま通り抜ける。ガイドのKさんは歴史が好きということで道すがら、マルティニの村、シオンの山城、サン・ベルナール(セント・バーナード)峠などローマ帝国の古代から近代までの歴史遺産を解説してくれ、興味深かった。  ツエルマットへの車窓からはクラインマッターホルンとブライトホルンが望めた。アルプスに来たんだ!という感慨が湧いた。

ツエルマットの駅から街中を突っ切って南西の端にあるマッターホルン・エキスプレスのロープウエイ駅まで歩いた。途中名物のソーセージを昼飯に買ってパクついた。ちなみにソーセージは普通の色と白色のがあって、パンがついてくる。私は白を買ったが、ボリュームもあっておいしかった。途中にある橋からマッターホルンが格好よく見えた。ロープウエイは、一気に高度を上げ終点のシュヴァルツゼー(黒い湖)駅へと我々を運んでくれた。

ここからヘルンリ小屋までハイキング道を行く。ハイカーも多くいた。ヘルンリ小屋は6時夕食なので、多くのガイドはそれを到着の目途に上がってくる、という。我々も早く着いてもすることがないので、のんびり行こうとなった。ただ、午後雨が降る可能性もあるので、チェックインの3時前には着くようにしようということになった。

出発してすぐに、下山するガイドに出会い、Kさんが様子を聞いたところ「山の状態はよい。風もない。今日は7パーティが登頂した。ただ自分たちは、クライアントの状態がよくなかったので登頂しなかった。」とのことだった。  ハイキング道は、森林限界を超えているので、樹木はない。概ね砂礫の道で、雪が残っているところもあった。部分的に金属網の橋や階段、ロープなどが設置され整備されていた。路傍にはかれんな高山植物も生えていた。日本にあるようなものも多いが、ダークブルーのくっきりした花をつけたものは、日本では見ないものであった。

 しばらく行くと、日本人の一行に遭った。アドベンチャーズ・ガイズのツアーで登頂したとのこと。話では、雪が多かったそうだ。  ヘルンリ小屋は、岩屑の尾根の上にあった。改修工事のお知らせのでっかい横断幕が建ててあった。テーブルと長イスが並んでいて、数人が休んでいた。そこは、小屋で何か飲食物を購入したお客しか使ってはいけないそうだ。ケーキのようなものを食べている人がいる。私も食べたいと思い、人が出入りしている所が売店かと思い、入っていくと、シェルパのようなアジア系の顔立ちの人が何も言わずすごい形相で睨んできた。何ごとかと思っていると、金髪の女性が「ここはキチンです。」と教えてくれた。よく見るとドアに立入り禁止と書いてあった。何のことはない、動き回っているスタッフに注文すればよかったのだった。  そんなこんなしていると、韓国国旗のワッペンがついたダウンジャケットを着た女性が、宿で一緒だったとのことでKさんに話しかけてきた。日本の劇団に何年かいたそうで日本語が上手だった。仲間が、上部の偵察にいっているとのことだった。明るい人で、しばらくのおしゃべりとなった。  3時になったので、2階の受付でチェックインを済ませ、下駄箱に靴とスパッツをしまい、3階の寝室の指定されたベッドに行って荷物を置いた。荷物は、スーパーの買い物カゴのようなものに入れて、廊下のタナに置いた。ヘルメットにヘッドランプを装着しておいた。翌日用の水として、ハイドレーションシステムに1リットルを用意した。今回は、テルモスはなし。荷物を片付けると、やることもないので、夕食までベッドでゴロゴロした。  夕食は、好きな席につき受付でもらったタグを見せると、テーブルにスプーンを置いてくれる。そこに、料理を運んでくれるという仕組みだ。メニューは、シチューを薄くしたような感じのスープ、パイナップルが入った甘いハヤシライス風、デザートだった。私は、好き嫌いがないので、おいしくいただいた。食事中、右隣の席にいたパーティは、モンブランに登頂したときたまたま一緒だったガイドと女性クライアント、左隣はKさんの知り合いのアメリカ人ガイドパーティで、にぎやかな食事だった。

食事が終わると、ガイドとクライアントがそれぞれ打合せを行った。我々も簡単に打合せを行った。翌日は、壁に張り出された注意書きに従って3時半起床、朝食、3時50分ころ出発の予定だ。Kさんから、ヘルメット、ハーネス以外はすぐザックにまとめられるようにしておく、パッキングはアイゼンとピッケルをすぐ取り出せるようにしておく、と指示された。翌朝早いので、打合せが終わるとベッドに入った。

【7月20日(土)晴れ・日の出前寒い】
    3:20 起床 3:30 朝食 4:00ヘルンリ小屋3260m発 → 6:15 ソルベイ小屋4003m 6:20 → 8:15 マッターホルン頂上4478m8:30 → 12:35ヘルンリ小屋 13:20 → 14:45シュヴァルツゼー駅=(ロープウエイ)= 15:00 ロープウエイ乗り場15:10=(無料バス)=15:20ツエルマット駅
(登攀・登り4時間15分・下り4時間05分)

 2時50分ころ周りがガサゴソし出したので、トイレに行き、そのままそーっと毛布2枚を片付け、ハーネスを装着し、ザックに荷物を入れて出入り口に置いてきた。暗いので首からぶら下げたLEDのミニランプが役立った。3時半少し前から食堂に人が集まり始めた。それぞれ靴を履き始めたので、イスに座り靴を履いてスパッツを装着した。  朝食は、パンとバターと紅茶だった。食事を終えると各パーティ出発の用意を始める。寝室に戻り、ハーネス、ヘルメットを装着し、余った水のペットボトルを出入口のバスケットにデポして、食堂でKさんが下りてくるのを待つ。Kさんから「ザックを背負ってなきゃダメだ」と言われる。出入口においていたのですぐ背負えたが、背負って待った方がよかった。なお、このとき左目のコンタクトが外れていることに気付く。しかし、付ける暇はない。そのままにする。今までの山行でも何回かあった。多少見にくいが、利き目は右目なのでなんとかなる。  外でアンザイレンし、すぐ出発した。先頭から少し遅れて4時ころだった。すでにヘッドランプがいくつも上を登っている。出るとすぐ岩場。少し順番待ち。前のパーティとの間を空けないように言われる。太いロープがあり、それを使って登る。特に問題なし。手袋は、毛のインナー手袋をつけたが、途中から雪が出てきて、寒さも募り、また濡れたりして手がかじかんできた。ソルベイ小屋下の下のモズレースラブは右の稜に近いほうを登り、ハング気味の所を左へトラバース気味に登り階段状を登って小屋へ至る。ハング気味の所は、見た目ほどではなかった。そこがV級ぐらいか。   6時15分ソルベイ小屋着。前のパーティも休んでいる。小休止。ただしオーダーを崩さないように言われる。水を飲んで、ピッケルを外付けにする。濡れたインナー手袋を厚手の毛手袋+オーバー手袋に取り換えた。

5分ほど休んで、出発する。左手すぐの上のモズレースラブに取付く。1歩目、左足に重心を移すところで、手がかりから手が外れて、テンションをかけてしまった。下からフランス人が、ニコニコして片手で押してくれた。もう少しやりようを考えてやればよかったと、悔しかった。所々凍っている。今度は先ほど補助してくれたフランス人が氷で滑って落ちてしまった。用心用心。  ルートは左側の東壁が傾斜が緩そうでそちらに誘われそうになるが、傾斜はあるが階段状のリッジを通ることが多かったように思う。東壁の傾斜が急な所には太いロープが固定してあった。上部になると所々雪があるが、かまわずツボ足で行く。 傾斜が緩み雪が多くなったところでアイゼンを装着した。ピッケルをKさんに渡す。岩と雪のミックスルートや雪面を稜上やトラバースをまじえて登る。しばらくすると傾斜が急な稜上を行くようになる。ここらが核心部なのだろう。太いロープが設置されている。最後の垂壁の所には鎖も設置されていた。難しくはない。

そこを抜けると右の北壁側に移り、しばらく雪壁が続く。傾斜はそこそこあるが、ここにも部分的に太いロープが張ってある。要所要所に鉄杭が打ってあり、ガイドはそこにロープを巻きつけて確保する。ここまで固定ロープは結構あったが、しっかり足で登れば、腕力勝負ということもない。雪は比較的多いようだった。雪壁を抜けると、頂稜となる。頂稜の手前で最初の下山パーティと行き交う。頂稜の右側は北壁の雪面で、左側は南壁の岩場だ。 頂稜に上がると、すぐにスイス側の頂上に着いた。8時15分だった。所々順番待ちもあったが、何パーティか追い越したので、比較的早く着いたかもしれない。Kさんとしっかり握手し、他のパーティに記念写真を撮ってもらい、喜びと感謝を伝えた。会のペナントを持ってきていたので、広げて写真を撮ってもらう。風が強いので、まくれてしまう。予行演習をしておけばよかった。 その後ピークから少し下がった北壁側にある聖ベルナール像のそばで小休止。水分と行動食を摂った。

15分ほど頂上にいて、下り始める。上部は鉄杭にロープを巻きつけ、Kさんがそれを滑らせて私がロワーダウンし、下の鉄杭にロープを巻きつけてKさんの確保を取り、Kさんはクライムダウンその他のテクニックを使って下る。それを繰り返して下った。下部は、その方法とクライムダウン、歩きを混じえて下る。  途中右足のアイゼンが、岩の間に挟んだとき横ズレし、前爪が中指側にズレたので、気を付けて行く。ソルベイ小屋で小休止。アイゼンを外す。  登りでは感じなかったが、ここからが意外と長く感じた。ショートロープの不慣れがもたつきを生み、余計そう感じたかも。今後、ショートロープを使うかどうか分からないが、課題としたい。12時20分にヘルンリ小屋の上の事実上の終了点に着いた。ヘルンリ小屋でスパッツ、雨具上着を脱いで、1時間弱軽い昼食を兼ねて休む。  あとは、往路のハイキング道をシュヴァルツ・ゼーへ戻り、ロープウエイでツエルマットへ降りる。少し歩いて、ツエルマット駅までの無料バスに乗る。駅前のレストランでパスタを食べてシャモニーへの帰途についた。

【感想とメモ】
 4年前に夫婦で行った初めての海外旅行でツエルマットの橋の上からマッターホルンを仰ぎ見た。高く大きく険しく見えたそのマッターホルンに登ったんだ、と思うと嬉しい。には違いないが、なかなか実感が湧いてこない。  初の海外山行、4000mの高峰、ガイドをお願いしての山行と初めてづくしで、自分の中で消化しきれていない感じだ。  自分が体験した日頃の山行と違うことのいくつかを、自分なりに書き出してみる。それが、自分自身の今後の糧となり、そして関心ある会員仲間の参考になればと思う。ただし、個人的なメモなので、記載内容の適否判断は自己責任でお願いします。

@やはり、日本の山とのスケールの違いを感じた。女性で世界初のアルプス三大北壁完登者である今井通子さんが、マッターホルンの北壁を登りに行って、下降路として使うヘルンリ稜を把握するため登下降したときのことを『私の北壁』『マッターホルンの空中トイレ』に書いている。日本の登山の常識とかけ離れた山のスケールと現地のスピーディな登山行動に驚いた話が出てくる。岩頭が次から次へと出てきて、下りがない上がるだけの登りのあまりの長さに皆精神的に参ったこと。日本では、難度の高い岩場を登っても下りは易しい尾根道が多いが、ヘルンリ稜は下りが、雪面、岩場ともに上りより難しかったこと。など。  実際、ヘルンリ小屋から頂上まで高度差1200mの岩稜は、その通りであった。また植物限界を超えているので緊張を和ましてくれるような花は言うに及ばず、葉さえ見ることはなく、ひたすら登りひたすら下る、という感じだった。  一方、環境保護、快適さ(利便性とイコールではない。精神的な豊かさを含む)の保全が山にもしっかり適用されていると感じた。山小屋の快適さとともにキャンプ地の制限があった。

Aスピードが重視された。“山は危険なところで、早く登って早く下りてくる。危険な場所にいる時間を少なくすることが安全に繋がる”という考えが基本にあると思う。私自身も、これまでそのことは意識して山に入っていたが、ヨーロッパではより徹底的だと感じた。  たとえば今回のマッターホルン・ヘルンリ稜の場合はヘルンリ小屋から上部3分の1の所にあるソルベイ小屋まで所要時間2時間半以内とかが基準と言われている。そこでそれ以上かかるようだと、頂上を踏んで安全に下山できないという判断になるようだ。  実際、ヘルンリ小屋から頂上までの間、ビバークはできなくはないだろうが、厳しいのではないだろうか。気温の上昇に伴う落石の危険性の増大や天候の急変の可能性を考えれば、一般的にはビバークに至る事態は避けるべきだろう。ビバークしていると、ヘリが飛んでくる、という話も聞いた。なお、正確には分からないが、ソルベイ小屋は緊急時のための小屋なので、フォーカスト・ビバークのために使用するという選択肢はなさそうな感じだった。そういう意味で、スピードの要求は端的に切実なものだと思われた。  前述の今井通子さんの本にも、“日本の登山の早発早着の時間の常識で行動したら、ヘルンリ小屋の主人に早々に起こされた”、「それにしてもこちらの人たちの山登りは実にスピーディだ。」と書いてある。  ただし、Kさんからも強調されたが、スピーディに、と言っても、個々の動作を慌ただしく行うということではなく、一つひとつの動作は、ゆっくり行い、コントロールを失わないようにすることが肝心だと思う。

Bスピーディに登るためには、それなりの体力と技術が必要だが、日本とはまた違うものが必要だと感じた。  体力は日本でもある程度の山行をこなすにはそれなりの体力が必要なので、ヨーロッパの山で要求される体力はきついものではあるが、飛びぬけてというほどのものではなかった。ただ、スピードが重視されるので、日本でのように、たとえば1時間に1回とか定期的に休憩するということはなく、休憩の回数はきわめて少ない。Kさんには、昼間の食事は、日本での行動食のようなナッツとかチョコレートのようなものだけでは、足りない、パンなど炭水化物をしっかり摂らないともたないと言われた。なお、これは体力の問題ではないが、高度が高いので、高度障害の予防のためしっかり水分を取る必要も言われた。
 技術という点では、個々の岩場、雪面は難しくてもV級程度だと感じた。手に頼らずしっかりと足で登下降できる技術があれば難しくない。しかし、岩場が延々と続くこと、ルートファインディングが難しいこと、により、安全を確保しつつ迅速な登下降を補助するロープワーク、ルートの知識が絶対的に必要だと感じた。今回比較的スムーズに登頂できたのもKさんのガイドのお陰以外の何ものでもない。

CBとあいまって、スピーディな行動のために装備の徹底的な軽量化が求められた。
◆まず個々の装備自体を軽量なものにする。私が今回使用した装備は、常時身に着けている衣類や靴などを除く荷物はマッターホルン約6s、モンブラン7s程度だった。衣類・靴等含めた総重量は、マッターホルン約9s弱、モンブラン約10s強だった。モンブラン用には、冬用のアウター(ジャケットとオーバーズボン)を用意したが、軽量の雨具上下に差し替えた。
◆不必要なものは持って行かない。たとえば、袋はアイゼンを入れる袋くらい、と言われた。ピッケルには、バンド等一切付けない。ハーネスのハンマーホルダーも外した。
◆装備はシンプルにする。ザックのショルダーハーネスに付けたコンパス、カメラを肩からかけたスリングは、邪魔だと言われた。確かに岩稜帯の連続する場所では引っかかったりして、多少の手間を取った。

もし、我々のような一般の山岳会がヨーロッパの山を登るとすると、どういう方法があるだろうか。自分のたった一度の経験からなのであまり確実なことは言えないが…。 モンブランは、それなりの体力を持っていること、高所順応訓練を行うこと、コンテでの氷河歩行訓練を行うこと、クレバスに落下した場合を想定しての対処訓練を行うこと、好天の条件下で実施する、ということであれば、自分たちで登れるのではないか、と思う。ただし、グーテ小屋の予約等、宿泊対策についてはよく検討する必要があるかもしれない。 マッターホルンは、ロープワークでスタカット登攀やロープを固定しての登攀、通常の懸垂下降を繰り返しては、明るいうちにヘルンリ小屋まで戻れない可能性が極めて高いように思われる。一般山岳会の過去の記録でもビバークになっている例が多く、ルートミスも多いようだ。ソルベイ小屋でフォーストビバークになるのは良いほうで、そこまで到達しない例もある。また明るいといっても、時間は午後9時くらいまで明るいので、落石等の危険性も高まるだろう。今回会ったガイドレスのパーティのスピードもガイドパーティと比べるとやはり大きな差が見られた。 プロからロープワークを習い、それを実践で使えるようになるまで習熟し、何らかの方法で詳しいルートの情報を入手する等、それに向けて時間をかけて準備する用意と能力があれば、そして現地での行動でもある程度の予備日を確保できる、というようなことであれば、自分たちでも登れるかもしれない。メンバーもそれぞれ自立し、足が揃っている必要があるだろう。 そうでなければ、マッターホルンの場合は、自分たちで現地人のガイドを現地でまたは日本国内からネットで依頼するか、日本の国際山岳ガイドを依頼するか、ツアー会社の企画に応募するか、になるだろう。ツアー会社の企画の場合、ガイドは会社が採用する現地人ガイドが中心で、日本人ガイドも少数ながらあり得るようだ。いずれにしてもクライアント一人に対してガイド1名の比率になるので、人数分のガイドを依頼することになる。
(記録 N)

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